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不易と流行

現在、iPadは個人の趣味の範囲を超えて、多くの学校で採用されていると同時に、東京メトロやKOSEなどビジネスの現場でも活用されています。
しかし、iPadの歴史はそんなに長いものではありません。
iPadが世に出たのは2010年4月。
つまり、10年前にはiPadはこの世界には存在していませんでした。
こう考えると、科学技術の進歩の速さと同時に、私たちの社会の変化のスピードと大きさに圧倒されます。

スマートフォンの時代です。
電車でもレストランでも、デート中ですら、スマートフォンと睨めっこの生活です。
暇つぶしもSNSもスマートフォンで成り立っています。
ビジネスの分野では、企業のホームページはパソコンではなくスマートフォンで見ることが前提に作られています。
キャッシュレス決済もクレジットカードよりもスマートフォンを使う人の方が多いようです。
スマートフォンのない生活なんて考えられません。
しかし、スマートフォンの歴史はそんなに長いものではありません。
iPhoneが世に出たのは2007年です。
日本でiPhoneが発売されたのは2008年ですから、12年前にはiPhoneのようなスマートフォンは日本にはありませんでした(シャープがスマートフォンの原型のようなデバイスは作っていましたが)。
たった12年での、科学技術の進歩の速さと、私たちの社会の変化のスピードと大きさには圧倒されるものがあります。

さて、iPadが誕生してからの「10年」、iPhoneが日本で発売されてからの「12年」という数字を未来に向けてみましょう。
今から10年後、12年後です。
これからの10年間、12年間で、科学技術はどのようにどれくらいの速さで進歩し、私たちの社会はどれくらいの速さでどれくらいの規模で変わっていくのでしょうか?

これからの10年12年と聞いて、真っ先に浮かぶのはAIの進歩です。
初期のiPhoneにはApp Storeはありませんでした。
App Storeができて、アプリを使えるようになったのはたった12年前です。
当時のアプリはまだヒヨッコでした。
しかしこの12年でアプリは物凄い進化を遂げました。
現在のAIはまだヒヨッコです。
これからの10年12年でAIはどこまで進化するでしょうか?

話は変わります。
日本は今、かつて誰も経験のしたことのない時代に突入しました。
日本の有史以来、誰一人として経験したことのない時代です。
人口自然減時代です。
厚生労働省の予測では10年後に日本の人口は1億2千万人を下回ります。
10年後には茨城県の人口の2倍以上が日本から消えることになるそうです。
日本は内需の大きい国ですから、人口減は経済に直接悪影響となってしまいます。
この急激な人口減の中で、私たちの社会はどれくらいの速さでどれくらいの規模で変わっていくのでしょうか?

私たちは変化に対応できる力を身につけなければなりません。
単なる変化ではありません。
急激な変化です。
この変化に対応できる力こそ、「勉強のやり方が身についている」だと思います。
勉強をして「勉強のやり方」を身につけていかなければなりません。

勉強は紙と鉛筆

【読解力低下】
OECD学力調査で15歳の日本人の読解力が15位にまで後退したとのニュースがありました。
ここで???と思ったのは、読解力の後退の理由を「ICT教育の不足」としている論調が多かったことです。
この学力調査はパソコンを使って問題を解くというものでした。
識者によると、日本ではICT教育が遅れていて生徒はパソコンで情報を処理することに慣れていないのだとのことでした。

私はそんなことはないと思います。
私は、生徒たちは「デジタルの読解」にどっぷりと浸かっているがゆえに、「精読技術」が低下してしまっているのが今回の調査の結果の原因であると思っています。

【デジタルの読解】
「紙面の読解」では、下線を引いたり、カッコで括ったり、記号を書いたり、余白に書き込みをしたりします。
この「書き込み」が「精読」を可能にします。
しかしながら、「デジタルの読解」では「書き込み」ができません。
つまり、「デジタルの読解」では「精読」が難しい。
実際に「デジタルの読解」では、「分からない箇所は飛ばして読む」となりがちだそうです。
さらに、私たちは「デジタルの読解」では長い文章を読むことには慣れていません。LINEやTwitter全盛の時代ですが、これらは「短文」の文化であり(インスタグラムなんて短文すら不要です)、私たちはデジタルで長文を読む習慣がありません。
いきおい、「デジタルの読解」では長い文章は「読み流してしまいがち」になってしまいます。
「読み流す」とは「分からない箇所は飛ばして読む」ということでもあります。

まとめると、「デジタルの読解」とは「精読」せずに「分からない箇所は飛ばして読む」ということになりがちだ、ということになるでしょう。

【紙面の読解】
「紙面の読解」では、下線を引いたり、カッコで括ったり、記号を書いたり、余白に書き込みをしたりすることができます。
こういった作業から私たちは「分からない箇所」に気づきます。
さらに、こういった作業から、「分からない箇所」を同意表現や対比や具体例から考えるようになります。
(ちなみに、具体例は本文から拝借するだけでなく、日常の生活から引っ張ってくることもよくあります)

まとめると、「紙面の読解」では「精読の技術」が身につきやすい、ということになるでしょう。

この視点で行くと、iPadに教科書を入れて読むだとか、iPadでノートを取るなんてもってのほかだと思います。
iPadのプロセスを学ぶことは重要だと思いますが、勉強はあくまでも「紙と鉛筆」で行うべきです。

生産者としてのITリテラシー

本校ではiPadを生徒一人に一台、所有させています。
私が仕事に就いたのは職場にパソコンが入ってきた時代でした。
まもなく、パソコンのできない中年社員をお荷物扱いするような風潮ができました。
本校でも一人一台パソコンが貸与されるようになり、パソコン前提の職場になりました。
パソコンができない先生は肩身が狭かったと思います。

実はパソコンは難しいものではなく便利なものです。
しかしながら、パソコンをいじったことのない人は、パソコンで仕事をするプロセス(こうすればこれができる)がイメージできない。
プロセスがイメージできないから一歩踏み出すのに躊躇してしまうのでしょう。

今年から本校ではiPadが教員に貸与されました。
iPadなんて分からないでは済まない職場になりました。
業務連絡も会議資料の共有もすべてiPadで行っています。
授業もiPadで行うようになってきています。
しかしながら、iPadの活用に躊躇している先生もいます。
これは「iPadのプロセスがイメージできない」というのが大きな理由でしょう。
iPadのプロセスがイメージできず、「〇〇をするには××を試してみればいい」ということが分からないから一歩踏み出せない。
さらにはiPadでできることがイメージできないので、「〇〇をしたい」すら思い浮かばないのかもしれません。

これからの時代、ITリテラシーは必須だと思っています。
目の前になるのが、iPadだろうが、Chromebookだろうが、Windows PCだろうが、きちんと使っていればどの端末でも応用が利くようになるものです。
私はAndroid派ですが、以前からAndroidを仕事に用いていましたので、iPadになっても「〇〇がしたい」だとか「〇〇をするためには××を試してみればいいのでは?」という思考になることができます。

ちなみに、私の場合はAndroidを「仕事で用いていた」というのが大きいです。単に消費用端末としてSNS(見る専門)やネット動画やゲームしかしていなければ、つまり単なる消費者としてしか接していなければ、「〇〇がしたい」だとか「〇〇をするためには××を試してみればいいのでは?」という思考にはならなかったでしょう。

これからの時代、ITリテラシーは必須です。
ここでいうITリテラシーは「消費」だけではなく「生産」も含みます。
仕事は「消費」ではなく「生産」だからです。
本校ではせっかくiPadを一人一台持たせているのですから、iPadの生産的な使い方(ゲームやネット動画ではない)をマスターしてもらいたい。
この前、Clipsで字幕付き動画を制作してもらいましたが、立派な生産活動です。
学園祭では映画を撮りましたが、立派な生産活動です。
学級日誌の記事はiPadに投稿してもらうようにしましたが、立派な生産活動です。
(SNSとは違って「実名」で投稿することに意味があります)
授業では電子書籍を作ってもらいますが、立派な生産活動です。
授業ではプレゼンを作ってもらいますが、立派な生産活動です。
こういった活動を通して、生産者としてのITリテラシーを学んでいってもらいたいと思っています。
こういった活動を通すことで、「iPadのプロセス」が身についていき、将来、「〇〇がしたい」だとか「〇〇をするためには××を試してみればいいのでは?」という思考で自分の仕事を創意工夫できる大人になることを期待しています。

生徒が将来使うのはアップルではなくグーグルやマイクロソフトのサービスかもしれません。
しかし、iPadのプロセスを学んでおけば応用は効くものです。
(私はアンドロイド派ですが、仕事でiPadも使っています)

表現力の意義

授業では表現力を求めることもあります。
最近で言うと、生徒一人一人に貸与しているiPadのClipsを使って字幕ビデオを作ってもらいました。

表現するということは、伝えたい相手を意識するということです。
相手を意識すると「相手からはどう見えるんだろう?」といった「他者からの視点」が身につきます。

そういえば、コーラスコンクールがありました。
学園祭では映画を撮りました。
どちらも「相手からはどう見えるんだろう?」といった「他者からの視点」を意識しなければなりません。
生徒は表現の機会を与えられるたびに「他者からの視点」を意識する訓練をしているのです。
他者からの視点を得るということは、独りよがりを防ぎ、適切な判断力につながると思っています。

生徒は学校行事だけではなく、プレゼンテーションや作品制作など、様々な授業で表現力が求められています。

もちろん、表現力の土台となる知識や技術を忍耐強く身につけなければならないというのは言うまでもありません。