前回、AI元年についての投稿をしました。
その中で、ChatGPTのおかげで英作文の添削から解放されたと書きました。
このゴールデンウィークにはAIを使ってiOSアプリを公開してみました。
2つのアプリを公開したのですが、1つについてはコードはすべてChatGPTに書いてもらいました。
アイコンはStable Diffusionに描いてもらいました。
私がやったのはAppleに審査を申請したことだけです。
一昔前ならApp StoreにiOSアプリを公開するなんて、コードを知っている一部の人たちという印象でした。
しかし、今やコードを知らなくても誰でもApp StoreにiOSアプリを公開できるということです。
生成系AIによって、仕事や学習の在り方が変わってきていると実感しました。
私たち人間に必要なのは何なのかと考えさせられました。
よく言われるのは「適切な指示ができるか」だとか「結果が正しいか判断できるか」です。
しかしながら、こういったことも時間が経てば解決されていくと思います。
私たち人間に必要なのは何なのか?
モヤモヤしているところに以下の新聞記事と出会いました。
「AIには不可能で、私たちにしかできないこととは何か。それは「責任を取る」ことかもしれない。これは、失敗や不祥事について謝罪することではない。結果を自分事として引き受けることだ。その意味で、責任を取れるのは、不確実性があるときに、リスクをとって自発的に意思決定した人だけだ。
経済実験で、人間の代わりにコンピューターに結果を選択させることがある。すると、人間と同じ結果を選択しても、周りの人の反応は異なる。責任のあり方が、意志決定の背後にあるはずの意図に深く関係するからだ。同様に、AIに選択はできても、意図をもって選択する役は、人間にしかできない。
責任を持って意思決定をするには、強い自己決定力と責任感の基礎が必要だ。それは、命令や「空気」に従う画一的な集団主義の中では培われない。未来を担う意思の強い個人を育てるためにも、急いで変えるべきことはまだたくさんある。(竹内幹『朝日新聞』経済季評2023年5月6日)」
今回、iOSアプリを公開するにあたっては制作はすべてAIに任せて、私がやったのは「Appleに審査を申請したことだけだった」と書きました。
これは一種の「責任をもった意思決定」だったのだと思います。
さらに、iOSアプリを制作して公開してみようといった動機にも「責任をもった意思決定」があったのだと思います。
今回の私の「責任をもった意思決定」は小さなことです。
しかしながら、iOSアプリを個人で楽しむだけでなく公にするということには、やはり「責任をもった意思決定」を伴います。
実は、このゴールデンウィークにAppleに審査を申請したiOSアプリは2つあります。
一つはapproveされたのですが、一つはrejectされました。
このapproveとrejectにもAppleの「責任をもった意思決定」があったのだと思います。
*後日、再々申請でapproveされました。
ところで、VUCA時代(予測困難な時代)だと言われています。
予測困難な時代という文脈でも「責任をもった自己決定」が求められてきているのだと感じます。
上述の記事には「責任を持って意思決定をするには、強い自己決定力と責任感の基礎が必要だ」とありました。
教師も生徒も「強い自己決定力と責任感の基礎」を身に付けるためには何をどのように学んでいかなければならないのかを問うていく必要があると実感しました。