「分かる」と「批判精神」

テストでは点数が取れないのに「授業は分かる」という生徒がいます。
「話を聞いて無批判に受け入れる」を「分かる」という言葉で表現しているのでしょう。

私は「分かる」の背景には「批判精神」が必要であると思っています。
「批判精神」があれば「理由」や「他の知識との整合性」を求めます。
そして、理由が分かったり他の知識との整合性が見えれば納得するものです。「分かる」とはこういったことを指すのだと思います。

物分かりのいい生徒が勉強ができるわけではない理由はこういったところにもあるのでしょう。

ハードルは高く

勉強時間ですが、普段あまりやっていない生徒は2時間やっただけで大いに満足します。
次の日勉強しなくても、「昨日2時間もやったからいいや」となるものです。

一方、普段4時間勉強している生徒は、2時間しかやらないと自己嫌悪に陥ります。
「昨日2時間しかやらなかった」という気持ちから、次の日の勉強は貪欲になります。

この違いが毎日積み重なっていく。

この違いは、知らず知らずのうちに作り上げていったハードルの高さです。
継続がハードルを作り、量がハードルの高さを決めていきます。
「毎日勉強する」といった継続が、「勉強しないと自己嫌悪」といったハードルを作り、「学習時間の多さ」がハードルの高さを決めていきます。
一旦ハードルが高くなったらしめたもの。
「やらないと自己嫌悪」が、レベルの高い学習の継続を可能にしてくれます。

まずは、「継続がハードルを作り、量がハードルの高さを決める」を可能にする環境を作らなければなりません。
ここで必要になるのは以下の2つだと思います。
①覚悟して、不要なものを捨てる。
②時間と場所を決めてしまう。