慶應義塾大学

慶應義塾大学環境情報学部2006

慶應義塾大学文学部2000


【慶應義塾大学環境情報学部2006】
近況報告☆大学に通い始めて約一ヶ月が経ちました。私は学生寮に住んでいるのですが、最初の方は学校と寮の生活に慣れるまでが大変でした(>_<)でも今はいい友達も出来て、楽しい毎日を送っています☆o(^-^)o 大学ではバイオ系の授業を多くとっています。生物とかの基礎知識がない人にも初歩の初歩から教えてくれるので、面白く授業聞いてます(^-^)/近況報告というと大体こんなところかな?(*´艸`)

学部紹介☆☆ 慶應の環境情報学部は、かなり自由度の高い学部です。双子学部と言われている総合政策学部は、政治関係の授業が中心ですが、環境は400種程のクラスがあり、授業内容は建築、メディアデザイン、認知科学、バイオインフォマティクスなどなど実に多様で、他にも多くの授業が用意されています。この学部に来れば、必ず興味のある授業に出会えます。なので、今現在やりたいことが見つからないという人にはもってこいの学部です。ただ注意点としては、この学部では何でも出来る分、自分で積極的に授業プランを立てなくてはなりません。また環境情報学部には商学部や経済学部のように、専門性を示す肩書きのようなものがありません。なので自分で何かしらの専門知識を身につけて卒業しなければ企業に就職することが難しくなってきます。 まぁいろいろと注意点はありますが、SFCはホントにいいですよ☆生徒とかも思ったほど派手じゃなくて、私自身ホッとしてます(^-^)/ 是非是非一度見学に来て下さいね☆☆


【慶応義塾大学文学部2000】
お久しぶりです。お元気ですか?何だかあっという間に7月になってしまいました。慌しい3か月でした。その間に考えたことについて先生の意見を聞きたいと思いメールを出すことにしました。

・大学について・
外から眺めるのと内から眺めるのとでは大きな違いがあるようです。(これはどの大学でも同じだと思いますが)高校の時から少しは想像していたことですが、やっぱり入ってみないとわからないものです。慶應にはある意味失望を感じました。もちろん大学で自分が決まる訳ではないけれど、自分の意志で選択したのだから多少の期待はあったと思います。(レベルのことではなく、人間的に中身のある、自分にとってプラスになる刺激を与えてくれる人間がたくさんいるだろう、という期待)実際にはそういう人にはほとんど出会えませんでした。むしろ慶應の名前にうかれて気の緩んだ人ばかりで嫌になります。でもまだ3か月なので、今後も何かを発信している人の信号をキャッチできるように自分の感性と知性を磨き続けていける人間であろうと努力したいと思っています。
友人はたくさんいますが、表面的なつきあいしかできません。話をしてもつまらないです。中学からの友人も大学に入ってから変わってしまいました。なぜ変わってしまったのでしょう?みんなしょっちゅう飲み会ばかりやって(私には飲み会のなにがそんなに楽しいのかわかりませんが)楽に単位をとることばかり考えています。私は(授業に限らず)そんなことをする暇があったらやりたいことがたくさんあるのでそういう生活を送りたくはないです。

・緊張感がなくなっていく恐怖・
私には以前(高3)に比べて自分の時間の密度が薄くなってきていることに対する恐怖感があります。受験時代は確かに一番つらい時期でしたが、今思えば一番精神的に充実していた時期でもありました。あのころ望んでいた平和な状態になった今、あの極限の精神状態に本当に戻りたいのかどうかは自分でもわかりません。でも緊張感、さらには自分を見つめる力や自分の人生そのものの密度が薄くなっていくのに私は耐えられません。この前本屋の受験参考書のコーナーに思わず立ち寄ってしまったのですが、そこにあった2001年度版の過去問のなかに、自分が解いた問題が過去のデータとして掲載され、分析されているのを見ました。それは懐かしいと言っていいのかわからない奇妙な感覚でした。その問題のページは一気に高校時代から受験の日までのあらゆる記憶を呼び起こし私を圧倒しました。それは希薄な今の自分が、過去の濃い密度の中に一気に吸い込まれていく感じでした。この問題は当分解決しそうにありません。

・自分1人の時間を持つこと・
私にとっては自分1人の時間が一番好きな時間です。忙しいのでなかなか1人の時間は持てませんが、読書、映画や演劇を観に行く、作曲、ドラム、考えごとなどをして過ごしています。「大学生の時に1人の時間を持つことは重要だ」と本に書いてありましたが、先生もそう思いますか?文章力がないので言いたいことがうまく伝わっていないような気がしますが(読み返すとめちゃめちゃ)もし時間があったら返事を下さい。
ではまた。

<2002年11月8日>
<劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく>
小林秀雄くらい読破していなければ人生について語ってはいけないと母に言わ
れたので今読んでいます。(これが非常に面白い。)ただ何を読むにしても漫然
と読むのではなく、自分自身の思索の糧とするために読むべきであり、そのた
めには自分の出来得る限界(私はこれを「思考の臨界点」と呼ぶ)まで思考を
突き詰めていなくては本に見捨てられるのが関の山です。(特に名著と呼ばれる
ものほど!)これだけはいつも肝に命じていますが、思考というものは形を変
えながら際限なく広がってゆくもので、気づくと途方もないことになっていた
りします。でもまぁそれもまた一興でしょうか。

<創作物の分量は苦悩の分量に比例する?>
人間は生きている限り自分であることからは逃れられない訳で、人間の悩みと
いうものはほぼすべてそこから生じている。(はっきりしたところで病老死に対
する恐怖とか)少なくとも私の場合はそうです。

問:自分の命が終わること(あるいは、その周辺)の恐怖に対してどう対処しますか。

私の考えとしては、「自分」にとらわれないことしかないのではないかと最近は思います。『「自分」の過去にも未来にもその他何ものにもとらわれず(これらはすべてうつりゆくものだから)、確かに存在している「今」だけを精一杯生きるのだと思ったとき人はとても自由なのだ』、と末期ガンから奇跡的に回復した母の親友が言っていました。これは仏教の「空」の思想に近いそうなのですが(勉強不足・・・)。またこれは外部との関わりで見れば、すべての事物(人間も)に一切レッテルを貼らない、ということでもあります。言うは易しですが、逃避でなく「今」だけを見つめて生きるというのはなかなか大変なものです。

<守・破・離>
自分の存在意義などきっと一生わからないままでしょうが、目の前の1つ1つの選択の積み重ねを振り返ってそのうち自分なりに理由付けをしたりし始めるのでしょう。そんなことを考えながら現在は司法試験の受験生をしています。(検察志望で!!)とりあえずは世間の中での自分のアイデンティティを確保したい、という本能的要請からでしょうか。
この世界には途方もない人間が色々いて面白いです。最近は「世の中すべて我が師」をモットーとしている私ですが(笑)、凄い師匠ができました。加えて大学では仏教美術の研究をしています。夏も寺巡りに行ってきました。知識欲に果てはありませんが、人間には限界があるのが悔しいところ(苦笑)。

<2006年2月5日>
入試シーズン真っ只中ということでお忙しいことと思いますがお元気でしょうか。
私も年末まで受験生でしたが、一応4月から慶大のロースクール(法科大学院)に通学予定です。運だけで受かったような気がしないでもないんですが・・・(笑)。
とりあえず新司法試験一発合格という(甘い)計画を実現するために頑張ろうと思っております。結局は体力勝負のようですが。
それはそうと、7日の午後にちょっと高校にお邪魔しようかな、と計画しております。もしお会いできたら嬉しいです。

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