構文の授業である生徒を指名しました。
黒板に「車を運転するときはいくら注意してもしすぎることはない」を英語で書くように指示しました。
生徒はしぶしぶ黒板の前に立ちました。
しかし、ここでピクリとも動かない。
早く書くようにに指示しました。
すると「分かりません」と言う。
私はこの「分かりません」が嫌いです。
この言葉には「分かるか/分からないか」の二択しかないからです。
しかし、現実は「分からなくても分かる部分はあるはず」です。
分からない問題の中で「分かる部分」を浮きだたせることって大事だと思います。
「分からない」で済ませてしまうのは「思考停止」。
「思考停止」では何も進歩しません。
「分かるか/分からないか」の二択ではなかなか進歩できないと思います。
「分かることしかやらない」では進歩は遅いでしょうし、「分からないことはやらない」では進歩はないと思います。
進歩するのは「分かる」と「分からない」の間だと思います。
「0か100か」でなく、30だとか50だとか70のところで進歩するのだと思います。
さて、冒頭の生徒ですが、「まず”車を運転するときには”を書いてみなさい」といったところ、これはきちんと正解を書くことができました。
なんだ、分かる部分もあるんじゃん!
0か100かでは進まない