ドイツ語学学校

ドイツ語学学校2008

【ドイツ語学学校2008】
<09年5月8日>
えーっと、卒業してからの生活について簡単にではありますがお伝えします。
まず卒業してから、浪漫しなさいという家族の意見と自分の意見が合わず、留学資金稼ぎの為、勝手に仕事を始めました。昼も夜も仕事三昧だったことと貯金があったため、意外とすぐドイツにゎ行けました。
最初語学学校に通ったんですが、クラスの仲間とゎ目指す道が違くて、勉強に打ち込めない日が続き、さらにギリギリのお金で行ったため夜ゎバイトで体調も崩して、辛かった(笑)
そんな中、先生に遠回しに『語学に向いていないかもね』的なことを言われ、『じゃあ自分何でここにいるんだろう』と病み病みな毎日が続きました。
だんだん不登校ぎみになり家に引きこもる生活になってしまったんですが、ある日 私の大好きな俳優さんが出てる1本のドイツ映画に心を動かされて次の日その方に悩み相談風ファンレターを書きました。
元々その方の映画を見てドイツに行こうってゆう決心がついたようなもんでしたから。
先生も知ってると思いますが、べつにドイツ語が1番にやりたいわけじゃなかったんです。最終的な夢 というか目的ゎ世界平和のために尽くすことであって、自分ゎドイツの歴史 政治体制 戦後から東西統一 そして現在という一連の流れを見て、そこから感じ取れるものが非常にたくさんあったのでドイツを選んだだけなんです。まぁ語学学校も無駄でゎなかったですけど。
そうそう、それで信じられないことに返事が来てチャンスを掴みました!
まずドイツにある施設(平和村?)で勉強したのゎ貧しい国々の社会、貧しい人々や難民キャンプにいる人々に対しての接し方、食文化、生活においての注意点、応急処置の仕方などなど。
そのあとに、そこで生活している方々のお世話をしました。
縁あってNGOの視察団?の方と世界各国の難民キャンプや孤児院をまわれる機会も頂きアフリカ大陸 アジア 南アメリカなど行きました。その時は、短い滞在であちこちまわってたんですが、私ゎ子供が好きだし寒いの苦手なのでドイツに戻ったそのあとはアフリカを拠点とするグループに入りました。
木に登ったり、狩りしたり、虫食べたり ワイルドな生活してます(笑)
あんまり制限されるものがないのでのんびりしていて向こうの生活ゎ好きだけど、たくさん辛いこともありました。
慣れないうちは食べ物にも苦労したし、まぁそれゎ序の口で、向こうの子達となかなか打ち解けられなくて大変なこともありました。単にシャイとか人見知りとかじゃなくて人間を信用してないとか人間が怖いんだと思うんです。親の顔を知らない子、虐待された子、売られた子、病気の子、いろいろいます。
それから一番嫌なのは人の生死に直面しなきゃいけないことですね。
人手が足らないときとか緊急の時は援助に行くんですけど、とにかく意識がとびそうだったのは立ち会い出産をした時でした。自分が経験ないので、余計パニックでした。
設備もなにもないので原始的な方法で赤ちゃん取り出すんですが、無事産まれればもちろんよかったってゆう反面、死産や母体の危険も多いのが現状です。
あとはエイズの人々も多いため、そういう場面ゎ何度見ても心が痛いです。
自分も命の危険を感じたことありますし。
世界ってやっぱり広いです。
ごめんなさい一夜漬けの用事があったので少し仮眠とらせて頂きます(笑)

<わたしから>
近況報告、有難うございました。
卒業生の活躍を聞くのはいいものです。質問が一つ。ドイツで語学学校と平行してやったバイトって何ですか?

<5月8日>
Barでバイトしてました。
最初ゎカウンターでお酒作ってたんですけど、後々ステージで歌ったりも(^∀^)ノ
基本的に学生としてドイツにいる限り(学生ビザってやつですかね?)バイト出来ないので、カフェとかレストラン、デパートなど無難な所は働けなかったんです。
てゆーかまずキリスト教の教えに基づいてほとんど6時くらいにお店終わりだし土日ゎ閉まってるから時間的にもBarしかなかったんですけどね☆
でもそれがあって、難民キャンプでは音楽教えたりしてますよ!って言っても楽器とかがあるわけじゃないから、楽器も手作りで日本の歌とか教えてます!

<わたしから>
有難うございます。Barもいい経験です。ところで、「でもそれがあって、難民キャンプでは音楽教えたりしてますよ!って言っても楽器とかがあるわけじゃないから、楽器も手作りで日本の歌とか教えてます!」って現在進行形ですが、いまもやっているのですか?

<5月8日>
ん~ってゆうか実際今回の就活ゎ親との交換条件なんです。
やっぱり向こうにいても生活できる収入ゎないし、元々貯金ゎ語学学校と一人暮らし、また成人式や何やらで何度か日本にも帰ってきてたんで生活費援助してほしくて頼みにきました。
あと向こうでちょっと病気にかかっちゃって、衛生面が心配だったんでこっちで手術するつもりで帰ってきたってゆうのもあるんですが…
んで親がせめて嫁に行く前に一つでいいから言うこと聞いてくれというもんで就活しております(笑)まぁ活動だけで終わりそうですが。
だからまだ難民救助のグループに入ってますよ。
自分ゎまだ世界の一部しか見てないのでこれからも勉強しなくてはいけません。

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